1877(明治10)年5月24日山形県東置賜郡赤湯村(現南陽市)の酒造家結城弥右衛門、たかの長男として生まれる。1892(明治25)年、山形県立山形中学校(現山形東高)に入学。第二高等学校経て、1903(明治36)年東京帝国大学法科大学政治学科卒業。1904(明治37)年日本銀行検査局に入行。二年後、ニューヨーク代理店勤務。大正7年(帰国して京都支店長、ついで名古屋支店長を経て1918(大正7)年大阪支店長となり、第一次大戦後の恐慌期に活躍。翌年同支店長兼理事になった。
1921(大正10)年に一転、安田善次郎亡き後の安田財閥の統帥者として招へいされ安田保善社専務理事及び安田銀行副頭取に就任し、日本経済興隆期のリーダーのひとりとなる。1923年安田関係11銀行の大合同を実現させた。1930(昭和5)年日本興業銀行総裁となる。1937(昭和12)年1月、日本商工会議所会頭。2月、林内閣の大蔵大臣。7月、第15代日本銀行総裁に就任。また郷里の赤湯の私邸を、実業公民学校の付属施設として生徒に開放。1951(昭和26)年8月1日逝去、享年75歳。
|