← トップページに戻る
 
     
  ヤマハ創業者  
  山葉寅楠[やまはとらくす]  
  (1851〜1916)  
  1851(嘉永4)年4月20日紀州(現在の和歌山県)徳川藩士で、天文係をしていた山葉孝之助の三男として生まれる。長崎で時計づくりを、大阪で医療器械を学び、医療器械の修理工として浜松に移る。そこで壊れたオルガンの修理をしたのをきっかけにオルガン製作を決意し、1887(明治20)年11月日本初の本格的オルガン製作に成功、1888(明治21)年3月山葉風琴製造所を創業、1889(明治22)年3月合資会社山葉風琴製造所設立。1897(明治30)年10月改組して日本楽器製造株式会社(現ヤマハ)を設立し、初代社長に就任した。

また、ピアノの国産化にも挑戦。1899(明治32)年4月ピアノ製造法研究のため単身アメリカに渡り、ピアノ工場をまわり、翌年1月からアップライトピアノの生産を開始。1902(明治35)年にはグランドピアノを完成させ、1904(明治37)年4月にはセントルイス万国博覧会でピアノとオルガンに名誉大牌賞を受賞した。1916(大正5)年8月8日逝去、享年64歳。
 
  参考文献検索  

[トップページに戻る]