1901(明治34)年6月12日生まれ、東京都出身。東京帝国大学を卒業後大蔵省に入ると、明治15年の制定から半世紀以上を経ていた日本銀行条例の改正に向けて尽力し、銀行局長在任中に法案化(旧日本銀行法、昭和17年制定)。その後大蔵次官を務めるが、間もなく終戦を迎え、公職追放令の適用を受ける。
追放令解除後、日本輸出入銀行総裁を経て、1956(S31)年11月30日に20代目の日本銀行総裁に就任、わが国経済が高度成長期を迎え、景気の過熱による国際収支の悪化や物価上昇を繰り返す中、政府を粘り強く説得しながら公定歩合や準備預金制度(昭和32年制定)の準備率を弾力的に操作し、金融面から持続的な成長を支える。
また国際会議に精力的に参加したり、外国中央銀行総裁をわが国に招くなど、日本銀行の国際化に努めたことでも知られる。わが国全体の国際化の機運もあって、昭和39年には日本銀行総裁が国際決済銀行(BIS)月例総裁会議に常時メンバーとして迎えられる。
同年総裁を辞任した後は、金融制度調査会会長を務め、1975(昭和50)年3月16日逝去。享年73歳。
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