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明治40年、名古屋に生まれる。家業は旅館経営で裕福だったが、5歳の時旅館が火事で全焼し、その後すぐに父親も亡くなった。慶應義塾大学卒業後、父親の残した土地を売り「山田モト旅館」を開業。昭和6年、幹部候補生として軍隊に入り、マレー半島上陸作戦に参加。昭和18年に病気の為除隊となり、旅館経営に戻った山田は、「信用販売」という制度を思いつく。昭和23年41歳の時、資本金40万円で日本百貨サービス株式会社(現・日本信販)を設立。昭和26年日本百貨サービスを改組し、資本金1000万円で日本信用販売を設立。会長に前商工大臣、社長に元一橋大学長をむかえ、山田自身は取締役企画部長としてスタートした。年末には会員数は2万人を越え一般消費者に歓迎された。昭和26年度の売上1億5000万円が昭和28年には10億円、昭和31年には25億円を達成する。昭和36年、三和銀行と折半出資で「日本クレジットビューロー(JCB)」を設立。
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