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  日本商工会議所会頭、新日本製鉄会長、経済同友会代表幹事  
  永野重雄[ながのしげお]  
  (1900〜1984)  
  1900年(明治33)7月、島根県松江市に生まれた。24年(大正13)に東京帝国大学法学部政治学科を卒業、いったん浅野物産に入社したが、翌年、危機におちいっていた富士製鋼に身をうつし、その再建に没頭した。34年(昭和9)の製鉄大合同により、富士製鋼は日本製鉄に合併された。第2次世界大戦後は、1946年に日本製鉄の常務に就任し、また経済同友会の設立に参加して48年に代表幹事となる。GHQの方針により、50年に日本製鉄が八幡、富士両製鉄に分割されると、富士製鉄の社長に就任。1969年に日本商工会議所会頭に就任。また翌年には八幡製鉄の稲山嘉寛社長とともに、八幡、富士両製鉄の合併にこぎつけ、新日本製鉄を誕生させて会長に就任した。73年には名誉会長にしりぞいた。  
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