年号 |
出来事 |
1921(T10)年 |
01月26日。愛知県の造り酒屋・子の日松に久左衛門の長男として出産。 |
1943(S18)年 |
陸海軍と民間の研究者からなる科学技術研究会で、生涯のパートナーとなる井深大を知る。熱線探知を井深と一緒に研究していた |
1944(S19)年 |
大阪帝国大学(現大阪大学)理学部物理学科卒業 |
1945(S20)年 |
03月。海軍技術中尉に任官。10月。復員、東京工業大学専門部講師となる |
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終戦後、離れ離れになったが短波も聞けるコンバータの第一号製品ができたのが朝日新聞の青鉛筆の欄に紹介され、これを見た盛田が連絡をし再び交際を始める。盛田が家業を継ぐ身のところを井深が父を説得しソニーに引き入れる |
1946(S21)年 |
05月7日。東京・日本橋の白木屋デパート3階に東京通信工業を登記上の設立。井深の義父の前田多門(元文相)が社長就任(1950年S25.11まで)、井深が技術担当の専務、盛田が営業担当の常務。資本金19万円、従業員20名の会社であった。このとき井深38歳、盛田25歳。設立趣意書に井深はこう書いた。「真面目ナル技術者ノ技能ヲ最高度ニ発揮セシムベキ自由闊達ニシテ愉快ナル理想工場ノ建設」。
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1947(S22)年 |
現在の本社、御殿山に工場を移転。日本気化器鰍ェ倉庫として使っていた建物 |
1950(S25)年 |
07月。日本初のテープレコーダ(G型)を発表。
11月。本社を品川区北品川に移し、本社工場とする |
1950(S25)年 |
11月。井深大社長就任(1971年S46.6まで) |
1951(S26)年 |
02月。テープコーダー(Tapecorder)の名称で商標登録 |
1952(S27)年 |
12月。立体録音装置を開発、NHKに納入。テープレコーダーの特許侵害で米貿易会社を告訴。
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1953(S28)年 |
米WE社とトランジスタの特許契約を締結 |
1955(S30)年 |
02月。製品に「SONY」のマーク使用。08月。Sonyのいわれは音『SOUND』や『SONIC』の語源となったラテン語の『SONUS
(ソヌス)』と、小さい坊やという意味の『SONNY』。自分たちの会社は非常に小さいが、それにも増して、はつらつとした若者の集まりであるということにも通じます、を掛け合わせて作った言葉。 |
1955(S30)年 |
08月。日本初の高周波トランジスタ・ラジオ"TR-55"発売
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1957(S32)年 |
03月。世界で一番小さいトランジスタラジオ・TR−63型を発売 |
1957(S32)年 |
ニューヨークに事務所開設。トランジスタラジオでアメリカ輸出 |
1958(S33)年 |
01月。社名をソニーに変更。02月。世界初のFM/AMトランジスタ・ラジオ試作成功 |
1958(S33)年 |
12月。東京証券取引所に株式上場 |
1959(S34)年 |
06月。ソニー・ショールーム、銀座・数寄屋橋に開設。盛田昭夫副社長に就任 |
1959(S34)年 |
盛田昭夫副社長に就任 |
1960(S35)年 |
02月。米国ニューヨークに現地法人ソニー・コーポレーション・オブ・アメリカを設立、盛田が代表取締役社長に就任。05月。世界初のトランジスタ・テレビを発売。
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1961(S36)年 |
06月。アメリカで日本企業初のADR発行され資本金21億円になる |
1962(S37)年 |
04月。世界最小・最軽量のトランジスタテレビ発売。09月。世界初の小型VTR完成発表 |
1962(S37)年 |
ニューヨーク五番街の日章旗と言われるソニー・ショールームをニューヨークに設置 |
1963(S38)年 |
11月。世界初のトランジスタ小型VTRを発売
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1964(S39)年 |
03月。世界初の卓上型電子計算機発表。 |
1965(S40)年 |
10月。世界初のトランジスタ式コンデンサー・マイクC−38を発売。米IBMと電子計算機用磁気テープ製造で技術援助、技術提携契約を結ぶ
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1966(S41)年 |
04月。銀座の数寄屋橋にソニービル完成。07月。世界初の携帯用VTR完成 |
1967(S42)年 |
03月。世界初のICラジオ発売。10月。世界初の携帯用VTR発売 |
1968(S43)年 |
03月。米CBSと合弁でCBSソニーレコード鰍設立。代表取締役に盛田就任。04月。世界初のカラーテレビで独自のトリニトロン方式を開発発売。ロンドンにソニーUK設立 |
1969(S44)年 |
アイワに資本参加 |
1970(S45)年 |
08月。ケルンに現地法人の販売会社ソニーGmbh(現ソニーヨーロッパGmbh)設立。09月。ニューヨーク・ロンドン・アムステルダムの証券取引所に上場 |
1971(S46)年 |
01月。単管式普及型カラー・テレビ・カメラ開発。07月。盛田、経団連理事に就任。08月。香港証券取引所に株式上場。09月。新しい記憶用半導体素子開発。 |
1971(S46)年 |
06月。盛田昭夫社長就任(1976年S51.1まで)。井深大は会長に就任 |
1971(S46)年 |
3/4インチ・Uマチック・VTR発売 |
1972(S47)年 |
10月。西独・フランクフルト、デュッセルドルフ証券取引所に株式上場。ベネゼエラに現地法人設立。12月。ブラジル現地法人設立。10月。ソニー技術研究所(芝浦)開設。米カリフォルニア工場稼動 |
1973(S48)年 |
ソニーフランス設立。05月。トリニトロン・カラー・テレビに対しアメリカテレビ芸術アカデミーよりエミー賞が授与される |
1974(S49)年 |
ブリジェンド(UK)工場稼働。06月。資本金86億2500万円に増資。10月。カナダの三証券取引所に株式上場。 |
1975(S50)年 |
01月。工場従業員5日間の一時帰休を労組に申し入れ。04月。新ビデオシステム「ベータマックス」を採用した家庭用VTRを発売
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1976(S51)年 |
01月。岩間和夫社長就任(1982年S57.9まで)。盛田は代表取締役会長に就任。井深大は名誉会長に就任 |
1976(S51)年 |
大阪心斎橋にソニータワー完成 |
1977(S52)年 |
01月。トリニトロン・カラーテレビ生産台数1000万台達成 |
1978(S53)年 |
02月。世界最初の旅客機搭載用50インチ・カラービデオ・プロジャクション・システム「スカイビジョン」を全日空と共同で開発 |
1979(S54)年 |
06月。ビデオデッキ生産台数1000万台達成。07月。ヘッドホンステレオ・ウォークマンを発売。
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1979(S54)年 |
08月。ソニー・プルデンシャル生命保険(現ソニー生命保険)を設立して新分野へ進出した。 |
1980(S55)年 |
05月。パンアメリカン航空会社取締役に盛田就任。10月。「コンパクトディスク・デジタル・オーディオ」システム開発に成功 |
1981(S56)年 |
04月。高精彩度ビデオシステムを発表 |
1982(S57)年 |
09月。大賀典雄社長就任(1995年H7.3まで。東京芸大音楽学部卒、1959年S34入社)。ニューヨーク証券取引所上場企業諮問委員会委員に盛田就任 |
1982(S57)年 |
ソニー・インターナショナル(シンガポール)Ltd設立。岩間社長急逝、大賀体制へ。日本初のCDプレーヤーを発売
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1982(S57)年 |
放送局用1/2インチ・カメラ一体型VTR"ベータカム"発売
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1983(S58)年 |
連結決算で初めての減収減益に。05月。盛田、日米諮問委員会委員に就任 |
1984(S59)年 |
「ベータはなくなるの?」の新聞広告。05月。盛田、(社)日本電子機械工業会会長に就任
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1984(S59)年 |
盛田昭夫、フランスの勲章「オフィシエ」を受章 |
1985(S60)年 |
03月。カメラ一体型8ミリビデオ発売
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1986(S61)年 |
最若手の盛田、経団連副会長に就任 |
1986(S61)年 |
盛田昭夫『メイド・イン・ジャパン』を世界17カ国で出版 |
1987(S62)年 |
32ビットワークステーションNEWS発売。デジタルオーディオテープ(DAT)デッキを発売 |
1988(S63)年 |
アメリカ最大のレコード会社・CBSレコードを買収。 |
1988(S63)年 |
電子スチルカメラ"マビカ"を発売
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1989(H1)年 |
映画7大メジャーのコロンビア・ビクチャーズ(現ソニー・ピクチャーズエンタテイメント)を買収 |
1989(H1)年 |
高画質ハイバンド方式8ミリビデオ"ビデオハイエイト"シリーズ発売
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1989(H1)年 |
小型・軽量パスポートサイズのカメラ一体型8ミリビデオ"CCD-TR55"を発売
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1989(H1)年 |
新しい日米関係のあり方を問う『NOと言える日本』(参議院議員・石原慎太郎との共著)を出版、その言動は国際的にも反響を呼ぶ。 |
1990(H2)年 |
CD-ROM電子ブックプレーヤーを発売。ハイビジョン映像対応の家庭用36型"HDトリニトロン"カラーテレビを発売。01月。本社ビル竣工 |
1990(H2)年 |
井深大ファウンダー・名誉会長に就任 |
1991(H3)年 |
スーパートリニトロン"ブラウン管を搭載したカラーテレビ"キララ・バッソ"シリーズを発売
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1991(H3)年 |
小型光磁気ディスク利用のミニディスクシステムを開発 |
1992(H4)年 |
11月。ミニディスク(MD)システムを発売。環境技術推進室を設置 |
1993(H5)年 |
90万円のハイビジョンテレビ発売。 |
1993(H5)年 |
盛田会長脳内出血で倒れる |
1993(H5)年 |
青色半導体レーザーの室温連続発振に世界で初めて成功
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1993(H5)年 |
放送業務用コンポーネントデジタルVTR"デジタルベータカム"システム発売
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1994(H6)年 |
04月。11年ぶりの機構改革、事業責任の明確化、権限委譲のカンパニー制を日本で初めて導入。盛田会長退任、ファウンダー・名誉会長へ、井深大はファウンダー・最高相談役に就任。32ビットゲーム機プレイステーション発売 |
1994(H6)年 |
オランダ フィリップス社と共同で次世代高密度ディスク(MMCD)規格を提案
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1994(H6)年 |
高輝度緑色発光ダイオードの開発に世界で初めて成功
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1995(H7)年 |
04月。井出伸之社長就任(1937年S12.11.22生、1960年S35早稲田大第一政経学部卒、1960年S35入社、1989年H1取締役就任) |
1995(H7)年 |
09月。家庭用デジタルカメラ「デジタルハンディカム」発売。 |
1995(H7)年 |
新型フラットパネルディスプレイ『プラズマトロン』(仮称)を開発
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1996(H8)年 |
グラストロン発売 |
1996(H8)年 |
デジタルスチルカメラ『サイバーショット』発売
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1996(H8)年 |
創立50周年に8カンパニーを10カンパニーに再編するなど機構改革を実施 |
1996(H8)年 |
大賀典雄、フランスの勲章「オフィシエ」を受章 |
1996(H8)年 |
平面ブラウン管 FDトリニトロン管搭載『KV-28SF5』発売
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1997(H9)年 |
03月。DVDビデオプレーヤーを発売。 |
1997(H9)年 |
05月。デジタル衛星放送のジェイ・スカイ・ビー(1998年5月に日本デジタル放送サービスと合併)に出資する。 |
1997(H9)年 |
12月19日。午前3時38分。井深大、急性心不全のため自宅で死去。89歳だった。 |
1997(H9)年 |
パーソナルコンピューター『VAIO』発売 |
1997(H9)年 |
役員を28減 |
1998(H10)年 |
02月23日。ファウンダー名誉会長・盛田昭夫ならびに代表取締役社長・出井伸之、フランスの勲章「レジオン・ドヌール」を受章 |
1999(H11)年 |
10月04日。午前10時25分。盛田昭夫、肺炎のため東京都港区の東京都済生会中央病院で死去。78歳。 |
2000(H12)年 |
03月04日。ソニー・コンピュータエンタテインメントは、新型家庭用ゲーム機「プレイステーション2」を発売。 |