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  八幡製鉄社長、日経連代表常任理事  
  三鬼隆[みきたかし]  
  (1892〜1952)  
 

1892(明治25)年生まれ。1917(大正6)年田山鉱山に入社。釜石製鉄所庶務部長を経て、1945(昭和20)年八幡製鉄所所長、1946(昭和21)年日本製鉄社長就任。

日本製鉄は、1950(昭和25)年4月1日、過度経済力集中排除法にもとづき八幡製鉄と富士製鉄などに分割、1970(昭和45)年3月31日、八幡製鉄と富士製鉄が合併し新日本製鐵が発足した。

1947(昭和22)年以後全国鉄鋼復興会議議長、経済復興会議副議長、日本鉄鋼連合会会長などを歴任。鉄鋼界の大御所といわれた。1952(昭和27)年4月9日日航機大島墜落事故により逝去。

東京発福岡行日航機「もく星号」が八幡製鉄社長三鬼隆をはじめ乗客33人、乗員4人計37名を乗せたまま伊豆大島三原山に墜落し、全員が死亡する。当時、日本の空は占領軍の官制下にあったため、原因は不明のままになる。

 
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