1873(明治6)年青森県弘前市生まれ。大阪城で豊臣家に尽くした武将・明石掃部末裔の津軽藩士・明石永吉、ともの二男。5歳で親戚の藤田正三郎家の養子となり、東奥義塾高を中退。1891(明治24)年に上京し明治法律学校(現在の明治大学)に入学、熊野敬三法学博士の知遇を得てその書生となる。1902(明治35)年、たばこ製造販売業の岩谷天狗商会(東京)に入社し以降、日活社長をはじめ、ガス、映画、印刷など60以上の会社代表や取締役となる。その後、東京商工会議所会頭、日本商工会議所会頭に就任、日本屈指の財界人として活躍した。藤田育英社の創設、弘前市公会堂の寄付など、多くの寄付行為で古里や全国の社会事業に貢献、育英事業で有為な青年たちを世に出した。1946(昭和21)年逝去。
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