東京帝国大学(現・東京大学)経済学部を卒業。戦前は経済団体に属し、戦時下重要産業協議会事務局長に就任し、「財界の脚本家」などと言われる。敗戦後、経済同友会の創立に加わり、1946(S21)年4月諸井貫一、郷司浩平と共に経済同友会代表幹事に就任(1947(S22)年3月まで)。その後、左派社会党に入り衆議院議員となり当選7回。1952年にソ連を訪問し、同時に北京入りして日中貿易協定を結ぶ、というように独自の活躍をした人物である。
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