← トップページに戻る
 
     
  日本地下鉄の祖  
  早川徳次[はやかわのりつぐ]  
  (1881〜1942)  
  1881年M14山梨県に生まれる。1908年27歳早稲田大学法科卒業。南満州鉄道秘書課嘱託となる。次いで鉄道院中部鉄道管理局へ移り庶務課勤務の後、新橋駅駅員となる。1911年30歳根津嘉一郎(東武鉄道)の招きで佐野鉄道の経営実務を任される。その手腕を認められ高野登山鉄道の支配人に抜擢される。1914年33歳高野登山鉄道の常務と衝突し辞職。交通事情調査のため欧米に漫遊。ロンドンで地下鉄に触れ東京での地下鉄開業を志す。1915年34歳パリ・ニューヨークで地下鉄の調査にあたる。1917年36歳財界の大御所、渋沢栄一に協力を要請受け入れられる。1920年39歳東京地下鉄株式会社を設立。専務に就任する。1925年44歳上野・浅草間の工事開始。1927年46歳上野・浅草間2.2キロ開通。新橋・浅草間が全通。渋谷・新橋間を開業していた五島慶太が東京地下鉄鰍フ株を大量に取得。経営権を脅かす。五島慶太との経営権抗争に破れ業界を退く。1941年60歳戦争準備のため帝都高速度交通営団が設立され地下鉄の営業は統制下に置かれる。心臓発作のため62歳で急死。  
  参考文献検索  

[トップページに戻る]