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1894年(明治27)3月、東京の、旧幕臣で実業家の家に生まれた。1918年(大正7)に東京帝国大学法科大学を卒業、農商務省に入省した。内閣資源局をへて、40年(昭和15)に企画院次長をもって退官、翌年、石炭統制会理事長に就任して戦時の石炭の生産配給管理にあたった。
第2次世界大戦後、経団連の創設に参加して初代事務局長となるが公職追放となり、解除後、1952年に経団連副会長に就任した。53年にニッポン放送社長に就任したほか、日本航空社長をはじめ多数の企業の重役をつとめ経営者としての力量を発揮した。
1968年に経団連会長に就任し、副会長の人数をふやして組織を集団指導体制に移行させ、効率的に内外の経済問題に対処した。74年に名誉会長にしりぞくまでの在任中に、政治献金、日米繊維交渉、オイル・ショックなどの難問にとりくんだ。 |
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