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  アシックス創業者  
  鬼塚喜八郎[おにづかきはちろう]  
  (1918〜)  
 

1918(T7)年、鳥取県に生まれる。1936(S11)年、旧制鳥取第一中学校を卒業。軍隊生活を経て、1949年(昭和24)3月に、神戸市の自宅でスポーツシューズ製造会社「鬼塚商会」を興す。最初に開発した商品はバスケット・シューズで、すべりにくくするため靴底をタコの吸着盤のように工夫したものだったが、「オニツカタイガー」のブランドが無名で売れず、販売はのびなやんだ。しかし、ブランド名はしだいに広がり、種類も増加してバレーボール・シューズやマラソン・シューズなどがくわわり、売り上げも増大した。

1955年に東京に進出して東京鬼塚株式会社を設立、東日本の販売拠点を確立した。56年、「オニツカタイガー」の製品がメルボルン・オリンピックに参加する日本選手団用トレーニング・シューズとして正式採用され、会社は大きな飛躍をとげた。57年にオニツカ株式会社を設立、翌年には鬼塚と東京鬼塚の両社をこれに吸収合併し、生産と販売の一体化をはかった。64年、神戸証券取引所に株式を上場した。

1977年7月、スポーツ・ウェアのジィティオ、ニットウェアのジェレンクをくわえて3社が対等合併し、総合スポーツ用品メーカーとしての形態をととのえるとともに、社名をアシックスと改称した。80年代にはブラジルとオーストラリアに現地法人を設立して、海外進出をはたした。また、92年(平成4)のバルセロナ・オリンピックを機に日米欧の共通ブランド化をはかったが、その後は業績がのびなやみ、不採算部門の見直しによる再建につとめている。98年1月、機構改革をすすめて営業拠点の統廃合をおこなった。

 
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