元富士銀行頭取・会長、経済同友会代表幹事。1965(昭和40)年に山一証券の経営危機を救った日銀特融の主役の一人で、財界切っての国際派論客として世界的に名をはせた。近代的な経営感覚で新しい銀行づくりに取り組む。金融国際化への体制をしき、芙蓉グループ編成の中心人物として尽力、日本金融界の顔となった。丸紅と高島屋飯田の合併を行う。
1906(明治39)年東京都生まれ。1928(昭和3)年東京大学法学部を卒業後、安田銀行に入行。人事課長、業務部長、外国部長などを経て、1948(昭和23)年戦後の財閥解体により43歳で常務就任、1963(昭和38)年富士銀行頭取に就任。1971(昭和46)年から1975(昭和50)年まで会長を務めた。
その間、1959(昭和34)年4月から1961(昭和36)年3月まで経済同友会代表幹事をつとめたほか、1966(昭和41)年の芙蓉グループ結成にあたっては中心的役割を果たす。1968(昭和43)年経団連副会長、1969(昭和44)年アジア民間投資会社取締役会議長、1971(昭和46)年日米経済協議会代表世話人、などに就任している。
1964(昭和39)年に訪米経済使節団長として訪米、現地で日米関係における「神話と現実」と題する講演をして一躍有名になる。また、1967(昭和42)年に米国フォーチュン誌よりグローバリストに選ばれるなど、国際的にも著名、1971(昭和46)年東京経済人訪中団、1972(昭和47)年中国アジア貿易構造研究センター訪中団副団長として中国を訪問している。1986(昭和61)年に勲一等旭日大綬章。2001(平成13)年10月14日肺炎のため逝去、享年95歳。
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