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  繊維卸から、近代総合商社への道拓く  
  [2代目]伊藤忠兵衛[いとうちゅうべえ]  
  (1886〜1973)  
 

二代目伊藤忠兵衛は、伊藤忠商事と丸紅という大手総合商社二社の基礎を築く。父・初代伊藤忠兵衛が興した呉服店を「近江商人」の精神とともに引き継ぎ、進取の気性と合理主義で経営革新を進め、総合商社という日本独自の企業形態を生む基盤を整えた。

1886(M19)年6月12日、初代忠兵衛の二男、精一として滋賀県豊郷町に誕生。1903(M36)年、父死去に伴い2代目襲名。1904(M37)年、県立商業学校卒、伊藤本店入店。

1908(M41)年、伊藤忠兵衛本部の代表に就任。1909(M42)年9月から翌年10月まで英国留学。1914(T3)年、伊藤忠合名設立、社長に就任、経営の近代化をすすめた。1918(T7)年、合名を分割、伊藤忠商事と伊藤忠商店(のちの丸紅商店)設立、商事社長に就任するが、それからまもなく株価の大暴落で多額の債務が発生。「一族の全財産を投げ出そう」と決心。海外店を整理し、貿易業務から撤退するなど大幅なリストラを行って負債を全額返済し、倒産の危機を克服した。

1920(T9)年、貿易部門を分離、大同貿易設立。1921(T10)年、伊藤忠商店、伊藤長兵衛商店が合併、丸紅商店に。1929(S4)年、呉羽紡績設立、社長に就任。第2次世界大戦中の1941(S16)年9月、伊藤忠商事、丸紅商店、岸本商店の3社が合併して三興発足。会長就任。1944(S19)年9月、三興と呉羽紡績、大同貿易が合併し、大建産業発足。社長に就任。

1945(S20)年12月、すべての役職を辞任。1953(S28)年、国策会社の東洋パルプ会長に就任。1960(S35)年、伊藤忠商事相談役に就任。1966(S41)年、東洋紡績相談役に就任。1973(S48)年5月29日胃がんで死去、享年86歳。

 
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