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  第18代日本銀行総裁  
  一万田尚登[いちまだひさと]  
  (1893〜1984)  
 

占領下の日本に「法王」と呼ばれる人物がいた。第十八代日銀総裁、一万田尚登である。爆発するインフレを抑え込む一方で、限られた資金を産業復興に注ぎ込む綱渡りをやってのけ、8年7カ月にわたって日銀に君臨した。持ち前の負けん気、独特の風貌。個性あふれるセントラルバンカーは、連合国軍総司令部(GHQ)と渡り合える唯一の経済人だった。

1893年8月12日、大分県野津原村(現野津原町)で生まれる。1918(大正7)年、東京帝国大学法科大学政治学科卒。日本銀行に入行、調査局勤務となる。1923年、ベルリン駐在(26年まで)。1937年、京都支店長となる。1938年、検査役になった後、検査部長に。1942年、考査局長。全国金融統制会理事。1944(昭和19)年、日銀理事就任。1945年、名古屋支店長となった後、大阪支店長に。1946年6月1日、新木栄吉総裁の公職追放に伴い、第18代日銀総裁就任。日本証券取引所評議員などを歴任。1951年、日銀総裁再任。1951年9月サンフランシスコ講和会議全権委員に任命される。1954年、日銀総裁を辞任(在任期間は8年7カ月と歴代最長)。鳩山内閣の蔵相に就任(56年まで)。1955年、衆院議員に当選(日本民主党、大分県第1区選出)。1957年、岸内閣の蔵相(58年まで)、デフレ政策を実行、「一万田法王」の異名でよばれた。1969年、衆院解散に伴い、議員退任、政界から引退。1984年1月22日、心不全のため逝去、享年90歳。

 
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