← トップページに戻る
 
     
  第10代日本銀行総裁  
  市来乙彦[いちきおとひこ]  
  (1872〜1954)  
  1872(M5)年、鹿児島藩士の三男として生まれ。東京帝国大学法学部を卒業後大蔵省に入り、大蔵次官、貴族院議員などを経て、1922(T11)年、加藤友三郎内閣の大蔵大臣に就任すると、財政緊縮により第一次大戦後のインフレ政策の是正に努めた。1923(T12)年09月に日本銀行総裁(昭和2.5.10まで)に就任してからは、震災地関係手形の再割引による特別融通を実施し、関東大震災により打撃を受けた経済界の救済に努めた。しかしながら、不況は年々深刻化し、1927(S2)年03月には震災手形の処理方法を巡る議論を引き金として金融恐慌が勃発したため、市中銀行に対し積極的に臨時貸出を行い、事態の収拾に努めた。こうした中、ともすれば脅かされがちであった日本銀行の資産の健全性を守り抜こうとの決意から、経営の行き詰まっていた台湾銀行(明治32年台湾に設立された特殊銀行)への救済融資実施の条件として、政府に対し日本銀行への損失補償を強く要求したとされている。1927(S2)年05月、この主張を入れた「日本銀行特別融通及損失補償法」等が公布されたのを見届け、日本銀行総裁の職を辞す。辞任後は東京市長に就任し財政改革を手がけたほか、戦後の1947(S22)年、参議院議員に当選したが、その後政界を去り、1954(S29)年81歳で逝去。  
  参考文献検索  

[トップページに戻る]