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1885年(明治18)11月に、東京の王子で生まれ、1909年に東京帝国大学工科大学応用化学科を卒業。11年から同大学で助教授をつとめたが、15年(大正4)に父親が経営する関東酸曹(のち日産化学工業)に入社して支配人をつとめた。26年(昭和元)から大日本人造肥料の常務となり、41年に日産化学工業社長に就任した。また、42年からは化学工業統制会の会長もつとめた。
戦後は経済諸団体の再編にあたり、1946年に経団連の代表理事となり、48年に会長に就任。1956年に経団連会長を辞してからは、科学技術庁にもうけられた原子力委員会委員や日本原子力船開発事業団の初代理事長をつとめるなどして、財界を代表して原子力の技術開発と事業化に専心した。
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