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  鹿島会長、日本商工会議所会頭  
  石川六郎[いしかわろくろう]   
  (1925〜)  
  1925(大正14)年11月初代経団連会長の故石川一郎氏の六男として生まれる、兄弟は東大名誉教授や三菱石油会長など、学者や財界人ばかりと華麗な閨閥を誇る。1948(昭和23)年、東京大学工学部土木工学科を卒業して運輸省に入省、国鉄へ。自ら現場配属を希望、SLのかまだきや機関士としてすすまみれで関東一円を走り回る。鹿島守之助社長の二女と結婚したのも国鉄時代。1955(昭和30)年に国鉄を退社し、取締役として鹿島に入社。翌年には早くも常務となり、副社長を経て1978(昭和53)年に社長就任するまでの間、九頭竜川ダムや名神高速道路の施工など土木部門の責任者として指導力を発揮した。1984(昭和59)年に社長を退いた後も、実力会長として君臨。各種政府審議会の会長を務める傍ら、1987(昭和62)年には五島昇氏の後を受け、日本商工会議所の会頭に就任。1993(平成5)年7月末、東京地検特捜部のゼネコン汚職事件の摘発が続く中、突然の辞任発表。しかし「懸案のめどがついたため」と事件との関係は強く否定。  
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