← トップページに戻る
 
     
  日産自動車会長、経済同友会代表幹事  
  石原俊[いしはらたかし]  
  (1912〜2003)  
 

1912(明治45)年3月3日東京都生まれ。1937(昭和12)年東北大法を卒業後、日産自動車に入社。

1954(昭和29)年取締役、専務、副社長などを経て1977(昭和52)年6月社長に就任。「トヨタに追いつけ、追い越せ」のスローガンを掲げ、「攻めの石原」と評される。世界の自動車市場で日産がシェア10%乗せをめざす「グローバル10」戦略を策定。英国での現地生産を決め、独フォルクスワーゲン車を日本で提携生産するなど、積極的な国際戦略を展開する。国際化はその後経営の重荷にもなる。社長時代の1980(昭和55)年5月には日本自動車工業会会長に就任。対米輸出の自主規制問題などに取り組む。

1985(昭和60)年6月会長となり、1992(平成4)年6月相談役に退く(〜1998年6月)。会長に退いた1985(昭和60)年4月から6年間、経済同友会代表幹事を歴任。「開かれた、行動する集団」をめざした。経済同友会代表幹事としての歯に衣着せぬ発言は、1989(平成1)年リクルート事件に揺れる竹下登首相(当時)退陣の流れを作り、「財界の論客」として名をとどろかせる。1991(平成3)年4月29日勲一等旭日大綬章受章。

2003(平成15)年12月31日心不全のため逝去、享年91歳。

 
  参考文献検索  

[トップページに戻る]