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  第9・11代日本銀行総裁  
  井上準之助[いのうえじゅんのすけ]  
  (1869〜1932)  
 

1869年5月6日(旧暦では明治2年3月25日)日田県(大分県日田市)に生まれる。帝国大学(現在の東京大学)法科を卒業後、1896年(明治29)日本銀行に入行。38歳という若さで営業局長を経験、ニューヨーク代理店監督役などを経て、横浜正金銀行常務副頭取、ついで頭取に就任、1919年(大正8)第9代日銀総裁となる。日本銀行はえぬき総裁の第1号だった。

関東大震災直後、経済救済のため1923年第二次山本権兵衛内閣の蔵相となってモラトリアム(支払猶予令)を実施し、関東大震災後の経済危機をのりこえたが在任4か月で辞任。のち貴族院議員に勅選され、在野で財界の世話役を務めたが、27年(昭和2)金融恐慌後の財界救済のため、再度第11代日銀総裁に就任。1929年(昭和4)浜口雄幸内閣の蔵相に就任、翌年1月に金輸出解禁にふみきって金本位制を復活させた。しかし、これは緊縮財政と世界恐慌のダブルパンチをうけ、輸出不振、金流出をまねいて日本経済ははげしい不況におちいった。さらに1931年、イギリスの金輸出再禁止でおきたドル買い騒動のあおりをうけて金本位制はおわる。

1932年2月9日、選挙の応援演説のために東京・本郷の駒本小学校に向かい、その場で銃弾を受け血盟団事件により小沼正(しょう)に暗殺された。

 
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