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  トーマス・グラバー[トーマス・グラバー]  
  (1838〜1911)  
  英国スコットランドのブリッジ・オブ・ド−ンに生まれる。1859年、開港後1年目の長崎に上海から渡来。その後グラバ−商会を設立し貿易業を営んだ。維新の若者たちを援助, 支持し、 伊藤博文を始め、多くの若きエリ−トたちに海外勉学の旅を斡旋した。1865年、 大浦海岸に我が国初の蒸気機関車、 アイアンデュ−クを試走させ、1868(明治元)年、 高島炭鉱を開発し、 同年、小菅に修船場を作った。ジャパン・ブルワリ・カンパニ−の設立に尽力し、 「キリンビ−ル」を発売する。長崎での事業が衰えたのち、三菱合資会社に招かれ、 終身顧問となり、 余生を東京で送った。妻は日本人ツル。 長男は倉場富三郎。 長女ハナ。日本在住50余年。東京で慢性腎臓炎となり、 70歳で死去。墓は、長崎市坂本町の国際墓地にある。日本政府から、 外国人としては最初に、 1908(明治41)年7月10日、勲二等旭日重光章が贈られた。  
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