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  森永製菓創立者  
  森永太一郎[もりながたいちろう]  
  (1865〜1937)  
 

森永製菓の創業の心は、太一郎の信仰心にある。恵まれない幼少年期を経て一旗揚げようと渡米。困窮のどん底で老夫婦の慈愛に触れ、熱情的なキリスト教信者となる。自活を探りながら道を伝えることを最善と信じ、洋菓子製造を天職に定めた。足掛け12年、不眠不休で製法を学んでの帰国後、西洋の「新しい味」の大衆化に成功する。エンゼルの商標は森永の誓いのあかしでもある。

1865年6月17日、現在の佐賀県伊万里市に生まれる。6歳で父を亡くし、母親は再縁、親せきの間を転々とする。森永太一郎がアメリカで洋菓子の製造技術をまなんで帰国し、1899年(明治32)8月、東京の赤坂に森永西洋菓子製造所を開業、1905年に「エンゼルマーク」を商標として登録した。1910年2月に株式会社森永商店を設立して経営基盤を確立し、1912年(大正元)11月に森永製菓に改称した。14年にポケット用ミルクキャラメルを発売、爆発的な人気を博した。 1916年、日本初の板チョコ発売。1919年、わが国で初めて工場従業員の労働時間を1日8時間制とする。1921年、日本最初の育児用粉乳発売。1935年、69歳で引退、伝道活動に入る。松崎が2代目社長に。1937年、1月24日死去、享年71。

 
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