← トップページに戻る
 
     
  第6代日本銀行総裁  
  松尾臣善[まつおしげよし]  
  (1843〜1916)  
  天保14年(1843年)、姫路の郷士の子として生まれた。長じて任官した宇和島藩での直営事業管理の功績により、明治2年、大阪府の国庫事務取扱いに推挙され、大阪府外国局会計課長等を経て大蔵省に入り、出納局長、主計局長、理財局長等を歴任した。明治36年、日本銀行総裁に就任すると、日露戦争(明治37〜38年)の戦費調達および正貨準備の確保を目的とする外債公募の実現に尽力した。日露講和条約成立後は、戦後の景気過熱の反動を憂慮し、明治39年に高率適用制度(公定歩合に最高・最低を設け、担保の種類等に応じた利率を適用する制度)を新たに採用するなど金融調節手段の多様化を図ったことでも知られている。このほか当時、日本銀行条例に定められた営業年限の満了(開業日から満30年、営業継続には政府の許可が必要)が迫っていたことから、明治43年に臨時株主総会の決議を経て政府に請願書を提出した。営業年限を30年延長する許可を受けたのを見届け、翌年、2度目の任期半ばで辞任し、大正5年、73歳で逝去。  
  参考文献検索  

[トップページに戻る]