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  日産自動車社長兼CEO、コストカッター  
  カルロス・ゴーン[Carlos Ghosn]  
  (1954〜)  
  大胆なコスト削減や組織活性化策で日産をわずか1年で業績急回復に導き、会社を活性化させた「ゴーン革命」。
日産入りすると4カ月で経営再建策「日産リバイバルプラン(NRP)」をまとめ、矢継ぎ早にグループの世界全体の従業員14万8000人の14%に当たる2万1000人をリストラするほか、工場の閉鎖、購買コストの削減などの大胆な改革を実行し、2001年5月の決算発表の席上では「日産は復活した」と高らかに宣言した。前期の6844億円の最終連結赤字から、3311億円の黒字に転換。長年業績の低迷に苦しんだ日産を、強力な指導力でV字回復に導く。

1954年3月9日ブラジル生まれ。父はレバノン系ブラジル人、母はフランス人。ブラジルとフランスの国籍を持つ。1974年、フランス国立理工科大学(Ecole Polytechnique)入学。1978年、フランスのスーパーエリート養成機関・国立高等鉱業学校 (Ecole des Mines de Paris)をエンジニアリングの学位を取得し卒業。

同年、仏大手タイヤ・メーカーのミシュランに入社。27歳という若さで仏ル・ピュイ(Le Puy)工場長就任。1984〜85年、土木建設、 農業機械用タイヤ研究開発部門統括。その後、1985年、31歳でブラジル・ミシュランの社長としてミシュランの南米事業全般を統括。1989年、35歳で北米ミシュランの社長、CEO(最高経営責任者)に就任。1990年に北米ミシュランの会長、社長、CEOに就任。同年ユニロイヤル・グッドリッチタイヤを買収し、北米ミシュランの抜本的なリストラを遂行した。両社の統合および北米におけるマルチ・ブランド戦略などを推進した。

そして1996年、ヘッドハンティングされて仏大手自動車メーカーのルノーに入社、同年12月に上席副社長(Executive Vice President)に就任した同氏は、コスト削減を強力に推進し、赤字に喘いでいた名門企業を、わずか2年で黒字に転換させた。付いた異名は「コストカッター」。

1999年6月日産の建て直しにCOO(最高執行責任者)として着任。2000年6月社長に就任。2001年6月最高経営責任者(CEO)に就任。

家族はリタ夫人(35)と1男3女。大の車好きで、日産のテストコースでは200キロ以上で飛ばす。趣味はサッカー観戦のほかにテニス、水泳、トランプのブリッジなど。

 
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